キースケのブログ

多浪したフリーターが何になっていくのかを知るブログ

常に色々なモノサシを持っている

このような言葉を聞いたことはありませんか?

「人それぞれだから、価値観は人によって違うから」

僕はこの言葉になんの間違いもないと思ってます。
人は生まれた瞬間から独立した別個体なのです。
生まれた瞬間、というのが受精段階か、取り上げられた瞬間からかはわかりませんが、どちらにせよ別個体です。
 
そもそもそこに悩む人はいないだろう、といのが僕の考えです。
だってどんだけ似ていると言われても、
似ている、だけで、おなじではありませんよね。
 
ですから外見が異なるなら内面も異なって当たり前だと思うんです。
 
ここからが本題。
どれだけ皆んながおなじでないことを知っていても、比較はされます。
他人にされる比較がわかりやすいのではないでしょうか。
仕事のできるできない、稼ぎかあるなし、出身大学による差別。。。
言い出せばキリがないです。
 
比較など無意味なのか?
比較するな、という自己啓発本はたくさんありますが、僕は常に
「それは無理じゃないかな」
と思いながら読んでいます。
 
それは世の中にはモノサシがあるからです。
モノサシがなければ多種多様な価値観を持った人間が蠢きあい、他人に関心を向けることはないでしょう。
いやいや、他人に関心を向ける人はいるでしょ!
と思った方、それは’他人に関心を向けない人’と比較して、’関心を向けている’状態です。
 
つまり、必ずどこかに基準となるモノサシがあるのです。
そのモノサシを上手に使える人が、モノサシで測られにくい世界へと向かうことができる。
 
必ずモノサシは存在するし、モノサシなしの状態はあり得ないと考えます。